あの日を忘れない

一年前の2013年12月6日(金)

憲政史上最悪の暴挙!「特定秘密保護法案」が強行裁決された。

あの日私は岡山駅前に立っていた。社会民主党岡山県連合と日本共産党岡山県委員会による共同の「秘密保護法反対!共同街頭演説会」

4人の弁士の最後に立った私は、力の限り叫んだ「今日にも稀代の悪法が強行裁決という暴挙により、可決成立してしまうかも知れない。」「しかし、私たちは諦めず最後まで全力で阻止しようではありませんか!」「共に頑張りましょう!」

喉が痛くなるっほどの大声で演説の最後を締めくくった。

帰宅後、ネット中継で国会の様子を監視していた。

日付が変わる少し前、ついにその時はやってきた。

数の論理で民主主義・立憲主義を破壊し、再び「いつか来た道」をこの国は歩むのか?

憤りと絶望で胸が一杯になった。

思えば、ひょんな事から社民党員になって、最初に取り組んだ政治課題がこれだっただろうか。

安倍反動内閣が画策していた「秘密保全法」。国会提出にあたり名前を「秘密保護法」と変えたわけだが、そのような動きを知った頃から感覚的に「これはヤバイ!」「何としても止めさせなければ!」という思いが日増しに強くなっていった。

そもそも民衆はこの時点(2013初秋)では「秘密保全法」というものについて何も知らない(知らされていない)状況だった。

この当時、街頭でこの事を訴えていたのは山本太郎参議院議員(無所属・東京)くらいでは無かっただろうか?

SNSなどネットを通じて問題意識を共有する仲間がワラワラと出始め各地で「法案反対」の街頭宣伝などが行われ始めた。

岡山でも10月くらいから、市民グループなどが駅頭でビラ捲きなどを行い初め私も何度かお邪魔した。

各政党の動きはと言うと、あまりスピーディーとは言えなかった。労働組合や民主団体も「特定秘密保護法案反対」を声高に叫び始めたのは、国会に法案が提出されるのと前後してだったように思う。

そんな中で、社会民主党岡山県連合の末席を汚すものとして「早急な市民への呼びかけ。」「情宣の実施。」を提案し、岡山駅前での街頭宣伝が実現した。

とにかく時間が無い!法案が審議入りしてからは文字通り「三日とあけずに」毎夕岡山駅前に街宣車で繰り出し、時には寒風吹きすさぶ中弁士は私一人で一時間訴え続けたこともあった。道行く高校生達に「この国が戦争する国になったら、誰が兵隊にとられるのかよく考えて欲しい。」とマイクで訴え、その子達はビラを熱心に読んでくれた。
手応えはあった。

そんな中、日本共産党岡山県委員会さんから「共同宣伝」の話が持ちかけられた。事の重大性について認識を同じくしていた共産党からの「一点共闘」の呼びかけに対し、「共同戦線党」たる日本社会党の系譜を継ぐ我社民党岡山県連合は申し入れを快諾。

2013年11月30日夕刻。岡山駅前にて二党による「特定秘密保護法案反対」共同街頭演説会が催された。

一時は党籍を持っていたこともある日本共産党との共同行動。正直、やりづらいというか、なんというかであったが・・・。

社民党の宣伝カーの上に並ぶ二党ののぼり旗は「危機感」の象徴のように思えた。

さらにその後は、民主党岡山県連との三党合同での演説会も開催。

暴走政権ストップ!の野党共闘は岡山の地に確実に根付いた。

迎えた12月6日。この日にも裁決か?という状況ですでに国会前には多くの市民や労働者が連日押しかけ「悪法反対!」「安倍政権打倒!」の声を上げ続け、国会を包囲し続けていた。

僕が最も懇意にしていると言ってもいい「社民埼玉ユース」の仲間で今は市議会議員をやっている人物もこの日は朝から官邸前に詰めていた。

夕方、会社から岡山駅前に向かう途中に電話で状況を聞いた「現場は緊迫している。」「逮捕者が出るかも知れない。」「けが人も心配だ。」と彼の弁。
最後に彼は「俺は現場で頑張る!おかちさん。は駅頭でしっかり訴えてくれ!」という旨の言葉を貰った。力が沸いた、あの感覚は今でも忘れられない。

結果として、強行裁決をとめることは出来なかった。無念で悔しい。今でもはらわたが煮えくりかえりそうである。

絶対に忘れない!あの暴挙。民主主義の破壊。立憲主義の否定。

反動内閣即時打倒!今回の総選挙の期間中に同法は施行される。

この一年、法案に反対した私たち野党は何をやってきただろうか?「廃止法案を提出した。」「署名を集めた。」確かにやっている。

でも、運動を広げられただろうか?問題意識を共有出来る仲間を増やせただろうか??

どんな悪政であっても、最後は「民衆の力」によって倒される。

自己満足の「運動」であってはならないし、それでは支持は広がらない。自戒を込め12,6を回顧しました。

岡山宮原街宣

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